戦後政治家暴言録
自分の知っている暴言知らない暴言いろいろ
あるわあるわ。
また「暴言」ということの定義・認識は
時代背景と密接な関係があるということ、
よく考えてみれば当たり前の話なんだけど
あらためて、そうなんだよな、と気づかせてくれます。
たとえば
昭和15年民政党議員斎藤隆夫の演説での発言は
彼を懲罰委員会→衆議院除名までにおいやられた・
今で言ういわゆる暴言としてとられたんだけれども
その内容はといえば
「聖戦(日中戦争)の美名に隠れて、国民的犠牲を閑却し
曰く国際正義、曰く道義外交、曰く共存共栄、曰く世界の平和
かくの如き、雲をつかむような文字を並べたてて、そうして千載一遇
の機会を逸し、国家百年の大計を誤るようなことがありましたならば、
現在の政治家は死してもその罪を滅ぼすことはできない」
という発言が問題になったようです。
要するに、日中戦争は国益に反していると軍を批判したわけだ。
今の視点からみると非常に正論である発言が
その時代には暴言となる。
暴言を見ることは、その時代がどちらに傾いているかが
分かるバロメーターである、というこの本の論旨には
うなずけるところ大。
この本では暴言を「うらの言論の側」その反対を「おもての言論の側」と
括っています。
さっきので言うと、戦時中は軍側がおもて、それに反対する斎藤の論説が
うらになるわけだ。
では今は?
おもては何でうらはなに?
たとえば奥野というアホな奈良県出身の政治家がいます。
むかしかなりの暴言を吐き問題になりました。
「日中戦争は偶発的戦争であり、侵略の意思はなかった」と
国会で発言しています。
それは当時問題発言となり大臣のポストを失っている。
つまり、戦時中と逆なわけだ。
だけどもこの本は今のおもての言論を手放しに良しとはしていない。
ここは「そうだよな。」とうなづいたところでもあるんですが、
とある平和団体の名刺にこう書いてあったそうです。
「私は平和を愛します。平和を愛する人は誰もが私の友達です」
であれば、「平和を愛する私」に反対する人、同調しない人は
「平和を愛さない人」になるという論理。
おもて側の言論にはこうした暴力性をかかえこんでいることが
しばしばある、と。
これはすなわちファシズムに通じるものだ、ということ。
この本には書いてあります。
あと、思慮の無さからくる暴言なんかもかいてありました。
これが結構笑える、というより、お前はバカか?と
ほんとに良識を疑うような発言もちらりほらり。
有名な暴言をひとつご紹介。
1983年当時の中曽根首相は8月6日広島を訪れ
被爆者団体の人にあったとき、
原爆症患者に向かって
「病は気からと申します」
といいました。
おまえはバカか?



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